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~地名「鈴鹿」のゆらい~


 

吉野にいらせられた大海人王子は難を避け、舎人数十名ぶ守られて山越えに名張、
伊賀の里を経て671年6月25日、ようやく鹿深(かふか)の山にたどり着かれた。
(鹿深の山は現在の加太超えの鈴鹿連峰。)
折しも日は西の山に沈み、あたりは木々に包まれた暗闇で道さえわからず、あちこち
山中をさまよわれるうち、はるか向こうに蛍のような火影を見つけられ、一点の光を頼りに
進まれると、賤の伏屋(山小屋)に行き着かれた。住まっていたのは、いやしからぬ翁の姪
の二人。翁は大海人皇子を一目見て王位に上がる相ある方と感じ「伏屋に一夜を過ごされ、
夜の明けるのを待って天照大神に事の由を申し上げては。」と言い上げしたが、追手の勢い
に迫られた大海人皇子は一刻も早くこの土地を立つことを願われた。
夜はますます深く、加えるに激しい雨に鹿深の川は泥乱して渡川も出来ず、皇子も翁も途方に
暮れていたとき、どこからともなく二匹の大鹿が二人の目の前に現れた、皇子は「これこそ
神の使いか」と手にしたたく鈴を鹿のツノにかけると鹿は静かに鈴を鳴らして歩みだす。
皇子と翁一行は、その鈴の音に導かれ、無事に川を超え、夜明けと共に関の里につかれた。


 
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